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住めば、都?・・・ふるさとは遠くにありて思うもの

(初出 Blog NLP Rightフィールド2011.5.9)

「ふるさとは遠くにありて思ふもの」

金沢出身の詩人
室生犀星の「小景異情(その二)」の
詩の出だしです。

犀星は子供の頃
ちょうど僕の小学校の校区にある
(金沢では校下といいます。)
寺院で育ちました。

その縁からか、卒業した小学校の
校歌の作詞は彼の物です。

この詩の全文は

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや

一旦志を持って
都に出たならば、
どんな困難があったとしても
困難な状況になったとしても
帰っちゃいけないんだよなぁ
そんなときに

孤独を感じて
ふるさとに帰りたい・・・
でも、(志半ばであれば)
都に戻らなくちゃ

そんな、葛藤を描いているようです。

明治から大正に掛けての時代
金沢と東京は
距離や時間だけでなく、
気持ちの面でも遠かったのかもしれません。

そのあたりは、現代と少し
事情が違うのかもしれません。

僕自身も金沢を故郷としています。

でも、帰ろうと思えば
飛行機もあれば
列車もある。
高速バスを使えばお安くも買えることが出来る

あるいは、いつでも
電話が出来る。

場合によっては、Skypeも・・・

その意味では、
物理的に故郷はいつも近くにあって
もしかすると
その存在に甘えることが出来ているのかも
しれません。

それ故に
僕の中にある感覚
「あ、どこでも、それなりに
   住めるなぁ」
・・・自然に、“住めば、都”になってる。

そう思えています。

それもこれも、
僕にとって、ふるさとは
特別にならないくらいに
いつも近くにあって

思い出す必要がないくらいに
自然に、そこにある。

いつでも、帰ることを許してくれている
だから、安心して、
ふるさとを忘れていられる。

そんな気がします。

わざわざ、意識しなくて良いということは
もしかすると
幸せなことかもしれません。

空気みたいに、水みたいに
そこにある。

当たり前にある。

全く、贅沢者ですね(笑)

せっかく今回、「ふるさと」と
テーマに書いてみました。

意識して考える機会になったのですから、
近々また、実家に連絡でも
入れてみようかな。

そう思います。

昨日は母の日でした。
来月は父の日があります。

こんな機会に、ふるさとに実家のある方は
連絡をしてみるのも良いかもしれませんね。

このブログを目にしていたとしたら
そのタイミングだったのかもしれませんよ。

偶然も必然ですから。

ぜひ。

では。

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