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私達は“そもそも”飽きっぽい 〜 そういう風にできている

  「あ〜退屈」こんなフレーズを口にするとき
   ちょっと、行き詰まった感じを感じることも
   あるのかもしれません。
 
  “退屈”そのものは、やっていることに興味を
  失ったり、そもそもやることがないことに
  嫌になったりしている気持ちや状況です。

  私達の心は興味を向けることの出来る
  変化を必要としているようです。

  ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、
  私達の神経回路そのものも、入ってくる刺激
  に、一定時間変化がないとその刺激自体を
  認識できなくなってしまうのです。
  いってみれば、飽きてしまうわけです(笑)。

  その1つの例として、
  「固視微動」という眼球の運動があります。
  私達の目は、見るモノを定点で固定している
  ように見えていますが、眼球時代は微細な
  運動をしています。それを私達は脳で補正し
  て、あたかも固定してみているように受け
  取っている訳です。しかし、そうしないと
 (投影像を網膜の上で細かく震わせていないと)
  私たちにはものが一切見えなくなってしまい
  ます。光の刺激になれて、見ている視覚的な
  刺激が無くなる・・・見えなくなるわけです。
  
  私達の神経回路は、飽きっぽい
          ・・・慣れやすいのです。
  もっとも、慣れてもらわなければ、
  私達は外の変化にいつも
  反応しなければなりませんから、
  それもまた大変なことですよね。(笑)

  必要があって、徐々に飽きる(慣れる)
  ようになっているのです。

  ・・・私達は、色々な神経回路を通して
     周りの状況を受け取っています。
     そう、飽きっぽい神経回路の結果、
     感じる退屈ですからある意味納得
  ・・・でしょうか。

  日常に関する退屈であれば、
  環境を変えてみるのは
  良いかもしれませんね
・・・例えば旅なんかもいいじゃないですか。  

(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”>2012.5.11改題) 
http://nlpfield.jp/mailseminar.html

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