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何かを考えずにはいられない。

『考えない』は考えても分からない

 昨年あるきっかけで、約10日の瞑想の
 コースに参加しました。
 そのコースでは、ほとんどの日程を
 だれとも口をきかずに、アイコンタクトほどの
 コミュニケーションもとらずに過ごします。
 そして、1日に何回かある瞑想の時間では
 ただ自分の身体の色々な部分に意識を向けて
 自分と出会っていくのですが、
 どうしても色々な思考、あるいは雑念と
 いうモノが勝手に浮かんでくるのです。
 
 何とかしようと向き合えば向き合うほど
 「どうやったら、そうなるんだ?」と
 考えてしまう。

 「考えない」は考えても出会えるモノでは
 ありませんでした。

勝手に何かを『考える』様になっている

 数日間誰とも話をしないでいると、
 結局、自分の中で対話や思考が始まります。
 普段だったら考えもしないようなことも
 浮かんできますし、
 携帯やテレビ新聞もないので、
 世間では何が起こっているかも分からない

 だからこそ、これまでの自分の事や
 これからの自分の事、その大きな幹や
 小さな枝葉と
 思考は勝手に広がり始めました。

 そして、周りに情報がほとんど無いからこそ
 自分からわき出てくるアイディアと
 丁寧に向き合い、全部を一旦受け止めることも
 できたのです。

私達自身はそもそも『アイディア』の泉だ

 ちょっと空いた時間ができたときのことを
 思い出して下さい。
 ぼんやりと窓の外を眺めながら
 ・・・具体的に何かは分からなくても
    『何か』を考え始めていた経験
    ありませんか?

 私達はいつでも何かを考えつくように
 出来ているのかもしれません。

 夜眠っていて夢を見るのもそう。
 通勤途中や散歩途中にアイディアが
 何の脈絡もなく突然出てくることがあるのもそう・。

 私達の「思考」や「脳」の仕掛け上
 私達はアイディアの泉ということに
 なりそうです。

 あとは、その湧き出るアイディアを
 どんな風に、実生活に活かしていくかが
 『腕』の見せ所になるのですが、
 じつは、その前に、湧いている
 アイディアに気づいてみませんか?
 手にとってくみ上げてみませんか?

 アイディアが思いつかないのではなくて
 アイディアを拾っていなかったか

 ちょっと荒削りすぎて使いにくい素材だと
 思い込んで、捨てていたのかも知れませんね。

 修行して「無念無想」を極めようとする修行者が
 いるのですから、何もしなければ
 「有念有想・・・何かを考えずにはいられない」
 訳ですから、いちど思考のをくみ上げて
 使ってみませんか?

(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2012.7.27一部改変)
http://nlpfield.jp/mailseminar.html

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