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“やりたくないことはやらない…むしろやるべきではない?”

 やりたくないことはやらない。
     そんなことは許されるのか!!

 子供の頃、お習字教室に行きたくなくって
 「もう、これやりたくない!」と親に言ったことが
 あります。すると、もちろん
 「そんなわがまま許しません!」と一喝
 結局、それほどやりたくないのに
 渋々行くことになった思い出があります。
 「世の中、そんなに甘いものじゃない。
   やりたくないことはやらない
 なんてことが通用するか。」というのが
 通常の感覚ですよね。

 しかし、やりたくないことは
 やらなくていいんです、
 いえ、むしろ、やらない方が良いのかもしれません。

 
 やりたくないかどうかを決めているのは誰?

 嫌々物事をやっていると、注意力が散漫になります
 もしも、それが危険を伴ったりすることであれば、
 やりたくないことを、やりたくないまま
 すると却って危険な場合があります。
 やりたくないものは、やりたくないという態度で
 行動してしまうのですから、やらない方が
 良いと考える事もありなのです。
 一方、その「やりたくないこと」を
 「やりたくない」のはなぜだったんでしょうか?
 それを決めていたのは・・・自分自身。
 そしてまた、その「やりたくないこと」
 嫌々ながらもやろうとしているのは・・・自分。

 自分が自分のやろうとしていることを
 「やりたくない」と思っているのならば
 その「やりたくない」理由をとことん考えてみる
 知ってみると言うことは如何でしょうか? 

 やりたくない理由が分かった上で
       やるかどうかをもう一度決める

 “やりたくないことをやる”というのは
 言ってみれば、アクセルとブレーキを
 同時に踏んでいるようなもの。
 進むに進まず、止まるに止まらず。
 ただただ、疲れてしまうだけ。

 ブレーキを踏んでいる「やりたくない」理由
 アクセルを踏んでいる「やりたい」理由

 の両方を、一旦「考える」意識の上に
 載せて比べてみましょう。
(何か紙を2枚用意して、
 書き出してみるのもいいかもしれません)

 このやりとりは、
 誰に聞かせる必要もありませんから
 やりたくない理由を本音ベースでとことん
 やりたい理由も本音ベースで
(やらなくちゃならないという場合には
       やらないとどうなるかも)
 徹底的に比べてみること、
 行動しながら、自分の中で
 悶々と考え続けるのではなく
 行動の前に、自分なりに決着をつけておくこと

 すると、行動を始めるときには
 ・・・やりたくないから、やらない か
 ・・・やりたい(あるいはやるべきだから)やる
 になっているはずです。

 行動時点で、アクセルを踏むのか、
 ブレーキを踏むかのかが決まっているわけですから
 いずれの行動を選んだにせよ
 (やらない場合には関係者に交渉がいるかも知れませんが)
 行動の効率や集中度は上がるはずです。

 結局、やりたくないことをやることで
 ロスしている心の負担を無くす。
 心が空回りしているのであれば、
 それに気づいて、両方の考えを再確認する
 ことで、心の空回りは小さくなります。
 
 今まで、空回りに使っていた心の力は
 別のところに使える様になりますから。
 きっと、毎日が自然に楽に動き出すはずです。

(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2012.8.31一部改変)
http://nlpfield.jp/mailseminar.html

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