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あなたにとってそれはどのように大切ですか?

 それぞれの立場で人は「君子豹変」する。

 企業のトップが、突然新しい方針を出す
 多くの場合は、社内調整を綿密におこなって
 新しい方針が進むのでしょうが

 トップが比較的豪腕の場合
 ・・・聞いてないよ! とブーイングがおこりそう
    なくらいな勢いで変化が起こることが
    あります。(まさに朝令暮改・・・朝令朝改)
 すると、現場で働いている社員にとっては
 ときには、大迷惑になることも。

 トップが、企業競争を勝ち抜くために
 周りの環境を鑑み、社員の少し未来の
 幸せ(会社の存続や成長)を考慮して
 直近の負担や苦労を強いることになる
 少なからず、経験があるのではありませんか?

 それがトップの立場であったとしても
 それが部下の立場であったとしても

 何かしらの目的、目標にたいして
 『立派な人物(≒君子)』は、
 自分がその目標に対して、
 豹の柄が黄色と黒にはっきり別れているように
 誤っていると分かれば、はっきりと心を入れ変え、
 行動の上でも変化するものである。
 ・・・これが君子豹変すの語源です。 

 この言葉、こんな風にとられることも・・・
 「トップというのはわがままなもので、
   気分次第でコロコロ変わる。大変だ」
 ちょっと、同情しますが・・・本来の意味とは、
 ずれています(笑)

 ついつい、誰かのために・・・となるところを

 そうは言っても、日本人らしさからか、
 多くの人が、会社のためだから、
 みんなのためだから、
 家族のためだから・・・と
 目標や目的を自分の外の環境に
 沿って決めがちです。

 もちろん私達は、会社員であれば
 企業の一員ですし、家族の一員でもあります。
 そしてまた紛れもなく社会の一員です
 
 会社の目指すところも大切ですし
 自分の基盤となる家族も大切。
 そしてまた、
 社会にとって役に立つことも大切です。

 だからといって、そのために
 自分を抑える、犠牲にするのは
 もしかすると、少し無責任なのかもしれません。
 
 仮に、自分を抑えて、犠牲にしたとき
 その結果が、望ましくなかったとしたら
 きっと、会社の所為にしたり、
 そのためを思った誰かの所為に
 してしまいがちです。

 つまり、私が我慢したのに・・・・と。
 
 考えてみれば、もし自分を抑えて我慢する選択を
 したとしたら、それを選んだのは自分です。

 勝手に選んでおいて、
 外の所為にするのは・・・ちょっと違う気がします。

 あなたにとってそれはどのように大切ですか?

 選択した行動が、仮に一時、あるいはしばらく
 自分自身を抑えて、我慢することになるとしても
 それを選んだと言うことは、
 自分にとって、大切に思うことが
 その行動で叶えられるからではないでしょうか?

 一見、誰かのために、みんなのために
 選ぶ行動の中にも、自分自身が叶えたい価値や
 結果が本当は備わっています。

 仮にそうで無かったら、一度
 その選択が、あなたにとってどのように
 大切なのか、あるいは、大切ではないので
 変えるべきなのか、を考えてみるのは如何でしょうか?

 どんな行動であっても、その時に選ぶに値する
 正しさ、価値があります。
 一度や二度であれば、仮に自分の大切に思うことを
 抑えたとしても、我慢しきれるかも知れませんが
 これがいつもとなると
 結果として、私達は、自分の人生の主体を
 「誰かのために」というお題目と共に
 放棄することになるかもしれませんよ。

 私達は意識していても、いなくても
 自分のために生きています、
 それと同時に誰かのため、役に立つように
 生きています。

 そして、だんだんと自分にとって
 大切にしていることに適った行動を
 選んで、あるいは確認して行ける様になるはずです。

 すると、私達のどんな行動も
 自分が自分の大切に思うことの基準で
 自分で選択をしていける。

 自分の生きたい価値観に沿ってできる行動が
 増えたとしたら・・・

 元気でないはずはありませんよね。 

(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2012.10.5一部改変)
http://nlpfield.jp/mailseminar.html

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