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▽▲冷静に捉えれば、“その選択”も決めているのは自分▲▽

▽▲冷静に捉えれば、“その選択”も決めているのは自分▲▽

すごく腹立たしいことがあったとき
「こんな事をするなんて、
  絶対に許すことはできない」
と思ったこともあります。

そして、その“こんな事をする”事に対して
友人も、知り合いも
「許すべきではないよな。そう、わかるよ」
と言ってくれます。

それでも、
 「許すか、許さないか」は自分次第。
 「できるか、できないか」を決めるのは自分。
です。

今、自分が起こす行動は、
きっかけとして、自分が起点ではないもの

上の例のように、
誰かが自分にとって
あるいは、他の誰かにとってでも
批判されてもしょうが無いことを
したとしても

それを批判するかどうかは、
自分が決めることになります。

つまり、相手が何をしたかどうかに関係なく、
自分がしたことには
自分に責任があります。

ですから、冷静な判断が
できるときに、そのことに
気づいて、学んで、身につけておく
大切だと思います。

最近、再び注目されているいじめと
その中でも対象の生徒が亡くなってしまうという
不幸な結果になったものでも、

 命が尊いモノで、
 それをないがしろにしたり
 奪ったりしてはいけない。

 そして、それは
 他人の命であれ、
 自分の命であれ、
 同じ事。

そのことを
「知っている」だけではなく
「信じられている」ように
大人も頭だけでなく、心から納得して
子供に伝えていなければ、
自分が決めた行動ということには
なりませんよね。

そして、
僕が、僕の経験として
どうして、「命」が大切か
これについて、書けるだけ
書くとすると、

どんな「命」にも、
為すべき事が必ずあるから。
この世に使わされた命だから。
大切なのだと言えます。

ちょうど一年前、
脳出血を起こしましたが
幸いなことに、出血量が少なく
最小限の後遺症で済みました。

普通に会話もできれば、
ワークショップを開催して
前に立って話すこともできます。

一歩間違えれば、
ちょっと、場所が違っていれば
今、こんな事を考えて
こんな風に伝えることも
出来なかったかもしれません。

僕には、病気が軽く済むことで
もらえた「命」かも知れません。
だから、それを粗末にすることは
できません。

もちろん今、僕自身が
“冷静に”考え、話ができる状態にある
から言えるというのは分かっています。

他人が自ら命を奪うように仕向けてしまうことも
自分で、自分から「命」を奪うことも

いけないから、ダメなのではなくて
あなたが引き受けてきた「命」を使う
責任を全うできないから

そして、それを「冷静に」考える事が
できるとき、大人であれば、学んで
子供達にも伝えていくことがもとめられるの
だろう・・・そう思います。

どんな行動にも、自由と同じだけの責任があります。
なぜなら、
私達は、社会と、他の人と、気づいている、いないにかかわらず
繋がっています。
どんな行動も他の人との関わりの中で
成り立っているのですから。

小さな選択から
どんなことを決めるか。
注意を向けてみる。
良いかもしれません。

image credit: hamara / 123RF ストックフォト
 http://jp.123rf.com/profile_hamara

(初出 Facebook NLPフィールドCafe2012.7.30 一部改変)
http://www.facebook.com/nlpfieldcafe

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