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“自分のため”を意識する

 “誰かのため”は、結局誰のためにもならない?

子供の時には、一度は
「自分のことばかりじゃなく、相手のことも
  考えるんだよ」と言われたことがあります。
相手、他人のことを考えて、気遣う
大切だし、素敵なことだと思います。

 ところが、「あなたのため」は思わぬところで
 暴れませんか?
 「せっかく、“やって”あげたのに」
 「どうせその程度・・・・・・」
 好意のつもりが、逆恨み?

「誰かのため」は時として、
 その人のためにならない想いを
 自分に起こさせてしまうのかもしれません。

 “誰かのため”は誰かの所為?

 思い出してみると、誰かのために
 やることを決断することは
 以外にハードルが低かった気がします。

 もちろん、誰かに喜んでもらうのは
 嬉しいですし、役に立っている感覚は
 自分の存在意義を示す感じもします。

 そしてもうひとつ、
 これは、やや感覚的なのですが、
 「誰かのため」を考える、扱うとき
 自分の決断が、まるで「第3者」のように
 
 ある面、冷静に、ある面、冷めた感じに、
 自分ごとではなくなる感じを持ちます。
 ・・・そんな感覚はありませんか?

 自分のために真剣に考えることが
 苦手な方が多いのは
 自分ごとと向き合うこと
 それが、いいことであれそうでないことであれ、
 とても、とても、真剣で、集中力の
 いることだからなのかもしれません。

 いずれにしても、自分のしたいことを
「誰かのため」にしてしまえば、
 その決断は、やや他人ごとにすることが
 できるのでしょう。

 「自分のために」あの人のお手伝いがしたい
      で、いいじゃないですか。

 喜んでもらえる、笑顔が見られる。
 それは、たしかに「相手のため」でもありますが
「自分のため」であることも間違いありません。

 だとしたら、自分が欲しいものとして
 自分の心と体を考えとも一緒に
「自分のため」に「相手を手伝う」のも
 いいと思いませんか?

 自己犠牲的な姿勢だけだと、心の充電が
 切れちゃいますよ。

 私達が、自分を超えて、影響力を発揮する
 ときには、自分自身が充実していること
 大切です。

 だとしたら、「自分のために」を意識して
 いつでもあなたがしたいように
 誰かのための行動が、充電たっぷりで
 できるように、ガス欠にならないように
 意識して行動してみるのはいかがですか?

 ゴールデンウィーク後最初の週末
 自分向けの姿勢で過ごして見ません?

 ではよい週末を!!

(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2013.5.10 一部改変)
http://nlpfield.jp/mailseminar.html

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