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誰も私を止めることは出来ない

 「誰も私を止めることは出来ない」
  ・・・映画のセリフみたいな独り言

 止めたいのに止められないもの、
 食後の間食、本屋での衝動買い、締切間近の昼寝(笑)
 ここで、開き直って
 「だれも俺を止められやしないぜ!!」
 などと、60年代の映画のようにセリフを
 言ったとしても、ちっとも決まらない。

 もっとも、決めゼリフではありませんが
 自分が止めたくても止められないことは
 他の誰かが、言ったくらいでは
 止められるものではありません。

 文字通り、
 「誰も私を止めることは出来ない」
 訳です。

 既にお気づきかもしれませんが、
 私達は、自分がする行動を
 色々な思考の末、選んで決めて
 行動している・・・それが、嫌々で
 あったとしても。

 冗談じゃない、したくてやったんじゃない
          やらされたんだ!!

 そうですね、ときには、自分が望んではいない
 けれども、やらざるを得ないことがあります。
 誰かが止めてくれるのを待つこともあります。

 結局止められるのは、自分しか
 居ないはずなのですが、   
 
 それをしなかったときの影響を鑑みて
 結果、本意では無いけれど
 してしまう訳です。

 それじゃ、誰も・・・自分も止められない
 じゃないか!!と言うことになりそうですが

 そうではありません。

 「自分ではしたくない」のに
 「嫌々ながらしてしまう」の影には、

 自分で自分のブレーキやアクセル
 ハンドルをも手放している
 可能性があるのです。

 ・・・先々週お伝えした「できない」と
    似た構造です。
 
 そのとき、ついついそうなってしまった
 要因を自分以外に分析しに行くわけです。

 ・・・“やらされたんだ”と。

 流れに委ねることも大切だけど
   流れに流されてしまうのは・・・

 
 東京でラッシュ時の駅を歩いていると
 沢山の人の流れに巻き込まれて
 行きたい出口に向かおうとしても
 なかなか迎えなくなるときがあります。

  そんなとき、一時的に人の流れに委ねる
  時間もありますが、それでも
  その流れに委ねつつも、自分が生きたい出口は
  意識し続けていますよね。

  つまり、流れに委ねながら反撃の時を待つ。

  あるいは、一旦流れが落ち着くのを
  待つことも出来ます。

  またあるいは、強行して流れに逆らうことも
  できます。

 自分の行動をどうするか選べるのは
 やはり自分だけなのです。

 流れに流されて、見知らぬ所まで行っちゃえ〜
 があったとしても、それは自分が
 選んだこと。

 そして、そのことに気づけば、
 次に同じような状況に入ったとき
 自分が、行動選択に主体的に関わることが
 (当たり前なのですが)出来始めます。

 嫌々やっていることこそ、一度
 自分がそれを選んでいること
 そしてまた、選ぶことになっている
 自分自身の判断基準、大切にしていたこと
 それを発見すると、さらに
 自分の想いと行動との一致感が
 増えるはずです。

 止めたいなと思っていることが
 自分にとってどのくらい大切だったか
 そして、
 止めることで手に入る未来が
 自分にとってどのくらい大切なのか

 ここは、一度自分で比べてしてみましょう。
 “自分にとって”を一番に
 掛け値無しで。 

 ではよい週末を!!

(初出 メルマガ “心がイキイキする言葉のフレッシュサラダ”2013.6.14 一部改変)
http://nlpfield.jp/mailseminar.html

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