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▽▲希望的観測では未来は見えない▲▽

▽▲希望的観測では未来は見えない▲▽

・・・「こうだったらいいのになぁ」
   と思うことが起こるはずだ
   と信じることを「希望的観測」と
   言いますよね。

経験的に言うと、多くの場合は上手くいきません。

あるとき上手くいったとしても
必ずそのツケが返ってくることが
多いのです。

私自身がNLPを学んで
自分自身を探求する様になって
このことについて
気づいたことがあります。

それは、“希望的”観測をするとき、
望ましくない情報や事実、予測を
見ないようにしているということ。

言い換えれば、未来の起こりうる
一側面を否定していることに
なっている様なのです。

つまり描いているのは、
“不完全な”未来。

そして、“望ましくない”ことに
対応できない自分自身の力を
疑っていることにも
繋がります。

・・・ですから、これは
   楽観的な発想とは異なります。
   楽観の根拠にはよく

「根拠のない自信」

が挙げられます。

自信は存在するのです。
ただ、根拠が説明できないだけです。

そして、起こる出来事も
それにどのように対応するかも
本人としては気づいては居ないけれど
自分が上手くいくということに
気づいているわけです。

 本当にそうであれば
 “望ましくないこと”を見ないフリも
 必要はありません。

 大変なことが起こったとしても
 「うまくいく」前提の元
 未来を見ることになります。

ここが“不都合な未来”を見ないことにする
「希望的観測」との違いです。

また、“希望的観測”をしがちな方は
とても、論理的だったり、優秀な方が
多いと言われています。

そして、“希望的観測”は、ある側面を“希望”で
補強した、一見しっかりとした
ロジック(理由付け、理屈づけ)が
あります。

すると、
その専門家ではない人には
そのロジックが、さも根拠がある様に
専門家の方にも
そのロジックが、さも根拠がある様に
思えてくるのです。

策士、策におぼれるって感じですね。
(僕自身も、耳が痛いですが)

希望を持って事に当たるのは
私達の視野や視座、発想、思考を
自由にしてくれますから
とても役に立つことです。

しかし、その希望を
根拠の中に練り込んでしまった瞬間
その自由さは失われて

本来、臨機応変に起こりうる問題に
対応できた,自分自身を
不自由にしてしまうことに
なるのです。
・・・なぜなら自分が作った
   “希望的”なロジックを持った
   根拠だから。

未来はどんなに予測してみても
未だ来ていないことですから
色々な可能性があり得ます。

だからこそ、自分に希望を持って
起こりうることを“期待しない”
いわゆる“直観”(物事の良い悪いを判断せずに
            ありのままに見る)を
が必要なようです。

そして、私達が気づいていること以上に
私達の周りには
物事を好転させるきっかけが
あるものです。

その兆しに気づくために
自分の力、あるいは成長力に
“希望”を持ってそれに
向き合うことが、結果として
未来を創ることになりそうです。

Image credit: lightwise / 123RF ストックフォト

(初出 Facebook NLPフィールドCafe2013.7.31 一部改変)
http://www.facebook.com/nlpfieldcafe

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