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「相手にイラついているのでは無くて、実は自分にイラついている」

もしも、全ての人が
自分の勝手気ままに、振る舞ったとしたら
どんなことが起こるんだろうか

…何てことを想像してみることがあります。

まぁ、そうでなくっても
プチ勝手気ままは、結構見るし
自分もかなり、ご迷惑をおかけしている
はずです。

人が、道いっぱいに広がって歩いているのを見て
「何て迷惑なんだ」と思うけれども、
若い頃の飲み会のときなんかは
4列、5列で歩いたこともある。

ながらケータイ、「危ないなぁ」と
思う反面、気づくとやってることがある。

やっかいは、相手に対して気づいている
 よりも
自分が、気づいていないとき

そして、いらつくのは

自分が気づいていて、
「勝手気ままを抑えているのに
 何であいつは・・・」
という気づいていない嫉妬やうらやましさ

なんだろうなぁ。

だから、
もしも、全ての人が
自分の勝手気ままに、振る舞ったとしたら
どんなことが起こるんだろうか

たぶん、そっちの方がイヤだなぁ
と思っているので、

相手を見つつ自分にイラつきながら
自分の行動を抑えたり、変えたりするわけ。

こんな風に考えると、
自分の行動を「勝手気ままにしない」のはなんでだろう
自分の行動を「勝手気ままにする、あるいはしたい」のはなんでだろう
って、自分に問いかけてみるのも
良いと思いません?

これ、これ、
意外に、起こっていることばかりを気にして
自分の本音、知らなかったりする。

自分の本音に対して
「自分勝手に」話を聴かない
のはねぇ。

外にイライラを感じたとき、
自分の何(どこ)がイライラしているか探る。
意外に落ち着くもんです。

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2014.2.14 一部改変)
http://ameblo.jp/awakeners/

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