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◇「相手の言い分、自分の言い分」

◇「相手の言い分、自分の言い分」

「おまえのためを思っていってるんだぞ!」
 というふうに声をかけてもらったことが
 いろいろあった気がしますが…

 中学、高校になって、自分の決断をするようになると
 (生意気ではありましたが)「大きなお世話だよ」
 と思ったこともありました。

ある方にとっては、僕自身の行動や判断が、
心配で見ていられないとか
その人から見て、間違った判断をしていたとか

まさに、僕に「よかれと思って」伝えてくれた
と思います。

しかし、だれもが、
いつまでも誰かの判断で生きる訳にはいきません。

すると、それぞれがそれぞれの考えで
判断するのは当然のこと。

そして、人は一人として、同じ人はいません。
大切にしている価値、あるいは、ものの見方、捉え方、好み
一人一人が、違った基準で判断しています。

すると、それぞれがそれぞれの“異なった”基準で
判断するのは当然のこと。

異なった基準で出来た“言い分”が存在するのも
無理からぬことです。

そして私達が覚えておきたいのは、
人にはそれぞれ、“違い”が存在すること。
そして、その“違い”は“間違い(≒誤り)”ではないということ。

ところが、自分が、相手より
経験豊富だったり、
責任や、権限が大きかったりすると
相手の“言い分”を『間違い』として『正そう』とし始めます。
・・・身に覚えはありませんか?

確かに、多くの場合、経験豊富な方の結論は
ある結論にたどり着くための「正解」です。
ですから、相手(この場合は部下や弟子、子供ですね)の
「言い分」は「間違い」ということになります。

しかし、言い分を主張する人にとって、
自分の言い分は「間違いであるはずはない」もので
相手の言い分が「間違っている」という構図で
理解しがちです。

ですから、仮にあなたの言い分が
ある結果にたどり着くための「正解」であっても
「正解」VS「不正解」の構図で相手に理解させようとしても
それは、とうてい受け入れられるものにはならないでしょう…

「正解」VS「不正解」の構図は、結果として
自分が受け入れられる、受け入れられない
ひいては、好き/嫌いのような、気持ち、感情の問題に
すり替わることが少なくない…そんな経験はありませんでしたか?

ですから、私達が覚えておきたいのは、
人にはそれぞれ、“違い”が存在すること。
そして、その“違い”は“間違い(≒誤り)”ではないということ。

互いに、その違いの存在を理解すること
そして、その違いがもたらす、結果の違いを
共有すること…ここがコミュニケーションとして
たどり着きたいゴールですよね。

もちろん、まずは、
「正解」VS「不正解」の構図ではうまくいかない
違いがそこに存在して、その違いをうけとめることから
始まる・・・ということに気づいた側(現時点では、私達ですよね)から
相手の「言い分」(の中身)を聞いて、違いを知る
ここから始められますよね。

「違い」と「間違い」との差は
コミュニケーションで手に入れる果実でみると
1文字の違いは大きく違うと思うのですが
いかが思われますか?

では、また。

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2014.9.16 一部改変)
http://ameblo.jp/awakeners/


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こちらのHPで紹介しています。→ https://nlp.team-awakeners.com/

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