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◇「問題」は私の中に解決の鍵がある

◇「問題」は私の中に解決の鍵がある

雪国に住んでいた僕にとって、住んでいた当時
冬、大雪が降ると言うことは、

 「スキー場のコンディションが良くなる」
   という意味と
 「町中でののろのろ運転が増えて道路混雑するので、
    遅刻しないよう。早起きしなければならなくなる」

雪が降るのは僕にとっては「問題と楽しみ」を
同時にもたらすものでした。

ましてや、北陸地方に大雪が降ろうがふるまいが
太平洋側に住んでいる方々にとっては
全くといって良いほど、関係のないこと
なのかもしれません。

私達が遭遇する「問題」は、
私達とその出来事との“関係性”に
影響を受けます。

 つまり、身近に起こったことで、
 自分に関係のあることに影響を受ける

と、大きな問題になります。

これもまた、先週同様
 「当たり前ことっちゃ~当たり前のこと」です。

すると、こんな事に気づきませんか?

私達にとって「問題」というのは

 「出来事」がどうこうではなく
 その出来事について、どう捉えるか

がその本体だったということに。

 早起きが苦にならない人にとっては、
 家を早く出ることを強いる“大雪”は
 問題ではありません。

 早起きを覚悟すれば
 “大雪”は問題になりません。

つまり当たり前のことですが
「嫌だなぁ」とか「絶対にしたくない」と
いう“気持ち”に飾られて

比較的望ましくない“出来事”は、“問題”に
変容するといえるのかもしれません。

 そして“問題”となったその“出来事”は
 立派に“問題”のふるまいをして
 私達に解決を困難にさせます。

しかし、“問題”を“問題”にしている要因の一つは
私達の“気持ち”という要素です。

そして、皆さんも経験があるかもしれませんが

難しいと思っていた問題解決の糸口を
いとも簡単に見つけるのは、多くの場合

 その問題に関係の少ない 第三者
 ある意味、その無責任とも言える
 問題の出来事の本質を突く “一言”
 であることが少なくありませんよね。

つまり、
 “問題”はそのこと“問題”と思っている人以外にとっては
 “問題”ではないということ。 
そういう人にとっては、“問題”に対するストレスはありません。

…今、これまでだったら、怒りたくなるようなことを
 書いているのかもしれません。

“問題”を“問題”にしているのは

 私達自身の“気持ち”かもしれません。
あるいは、
 私達がその“問題”に取り組んできた自分を“正当化したい”
 というある種の、意地なのかもしれません。

ですから、
 問題」は私の中に解決の鍵があるというわけです。

そして、今すぐにそのことを受け入れる必要はありません。
ただし、もしこれまでのやり方で
あなたの“問題”が溶(解)けないときには、

 あなたが「問題」と捉えているその出来事に
 「問題」ではないとしたら・・・
 あるいは、
  もう「問題」で居続ける必要がないとしたら
 また、あるいは、
  その「問題」を全く無視するとしたら

というような、あなた自身の新しい視点や論点で
捉えてみてください。

そこには今まで、そのことを「問題だ」と思い続けることに
こだわってきた何かが存在しているのかもしれません。

そのこだわりが大切でなければ、
もしかするとその「問題」は重要でなかったのかもしれませんね。

こんな風に立ちはだかっていた問題とも
あたかもダンスをするように、向き合ったり
交わしたり、次のチャンスを待つ。

問題との関わり方に、柔軟さを手に入れるのはいかがでしょうか?

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2014.10.7 一部改変)
http://ameblo.jp/awakeners/


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