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“こりゃ、まいったね”について考えてみた

“こりゃ、まいったね”について考えてみた

絶対に、失敗できないと思っていたこと。
とても、大事に思っていたこと。
そういうことが、
上手く行かなかったとき、
ついつい“自分”を責めてしまいがちになります。

 “責任感”をもって取り組むことは大切だし
 決して、ものごとを“いいかげん”にしていい
 とは思ってはいませんが・・・

 自分では急にどうしようも出来ないこと
 自分の力を越えていることが
 今の“状況”を作っていることがあります。
 
 それが仮に、「失敗」と呼ばれる状態であっても、
 自分の力を越えていたり、時間が必要な事は
 実際問題“どうしよう”もない。

 そう、
  「こりゃ、まいったね、どうも。」
 なのです。

 でもこれって、肩の力を抜くには丁度良い。
 だって、どうしようもないことについての
 「自分の責任」を手放すことが出来るから。

 あとは、自分で「どうにか出来る」部分で
 「自分の責任」を全うすれば良いってことだ。

 もちろん、物事を進めるのに、障害がない方が良いし
 順風満帆な方が良いとは思うけれど、
 実際の所、世の中そうは行かない。・・・甘くない。
 
 あっ、甘くないのではなくて、
 順風満帆の時もあれば、逆風、多難な時もあるだけ。
 両方あることを忘れていただけ。

  甘いもののあとには、しょっぱいもの欲しくなるよね(苦笑)

 逆風、多難の時には、すかさず
  「こりゃ、まいったね、どうも。」
 で、矢継ぎ早に
  「で、なにができるんだっけ?」
 と、逆風、多難を当たり前に切り換えて
 次の一歩を進む段取り。

これで良いと思いません?

だから、ある人は
 人生そんなに甘くない っていうし、
また、ある人は、
 人生なるようになる  っていう。

どっちも起こることだけど、
どっちを選ぶかは、自分次第。

言い換えれば、自分の発想次第。
 甘い、順風満帆の状況のあと、
 しょっぱい、酸っぱい、逆風多難な事態に
遭遇したらすかさず、
  「こりゃ、まいったね、どうも。」から始まる
シンキングタイム・・・自分が出来ることから
スタート出来れば、いいじゃないかって結論に達した。

目の前で起こって体験してること
自分にどんな風に説明するか
そのコミュニケーションの方法って
自分次第で工夫可能なんだよね。

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2015.4.10 一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/


Team-Awakeners ひじままさきのNLP/コミュニケーションワークショップ
こちらのHPで紹介しています。→ https://team-awakeners.com/

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