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◇旬とかタイミングとか

◇旬とかタイミングとか

それ程、食べ物に詳しい訳ではありませんが、
そんな僕でも、“旬”のものは、美味しいと思って頂きます。

何が良いのかと思うと、
“無理が無い”というか“自然にそこにある”というか。

まぁ、もっとも最近は“旬”が近づくと
テレビや雑誌、インターネットが
騒ぎ出すので、やや“不自然な”気もしなくもないですが。
・・・広告代理店の方にはもう一工夫願えると
   もっと素敵な日本の四季を楽しめるのになぁ
   と消費者視点(笑)

いずれにしても、食べ物は、
植物であれ、動物であれ、
もともと“生命(いのち)”として育つものを
頂くのだから、その生命のリズム、ペースに
合わせるのが旬の食べ物を頂く
って事なんだろうなとしみじみ思うわけで。

旬とか、タイミングとかは、
私達が、生き物であるということ、
自然の中の一部であることを
考えれば、その自然の大きなリズムの中に
いるのだから、それに気づくことなんだろうと。

ここで
自分の“今”を考えたとき、
自分の“今”に気づくとき

頭だけ、考えだけが、先走って
前のめりになっていることや、

身体が進もうとしているのに
考えが、追いつかずに、戸惑っている

そんな“こと”はないだろうか。

僕自身、自分が刻んでいるリズム、
自然のリズムとのアンサンブルが
僕のどんな旬を、タイミングを
奏でているかに、常に気づいているわけではないので、
ときには、立ち止まる。
ときには、感じるまま進む。
ときには、熟考する。

自分ができることを色々試しながら
自分の旬、タイミングを
探っているんじゃないだろうか。

久しぶりに、詩のような事を書きましたが、

何のことはない、
自分の頭で考える事、身体で感じること
周りから受け取ることの
丁度良い場所に、居ることに気づいたとき

それが、自分にとっての旬、タイミングじゃ
ないのかなと思う。

ほんの少しの成り行きと、
ほんの少しの出会いと
ほんの少しの自分の想いと。

いつでも、その丁度良い場所に
戻ることができるというのが、

私達が元々持っている“旬”を捉え、活かし、味わう
力なんじゃないかな。

で、だれでも、自分のタイミングに
合わせることができるというのもまた、
そうなんじゃないかなと思います。

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2015.11.17一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/

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