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◇ちゃんと“自分の意見”を聞いてみよう

◇ちゃんと“自分の意見”を聞いてみよう

ある目標のために、何かを我慢する。

・・・「願掛け」のように“思いの証”の場合もあれば
   「食事制限系のダイエット」
    のように“実際の成果を期待する行動”の場合もある。

いずれにしても、

 我慢する

のは、“容易ではない”というのは
共通認識で良いと思うのだけれど、どうだろう。

そもそも我慢が“容易でない”から
「“願掛けでの思いの証としての貴重さ”が成立するのだ」
と考えれば、まぁ、納得。

“我慢”は、自分の意見を“抑える”ということ。
本音では、したくてしょうが無いことを
抑えることだとかんがえてみると、

“我慢”を感じるとき、
「実際の所、自分の本音はどうなんだろう」
って思ったりする。

当然、そこには、
“我慢する事で得たいものがある”
 と言う本音もあれば、
“我慢しないと手に入るものが欲しい”
 と言う本音もあるのだから
ちょっと始末が悪い。

本音の内戦状態なのだ。

そして、困ったことに、両方が
 “自分の意見”
なのだ。

言ってみれば、自分と自分との戦い。

そのことに気づいていたかどうか別として、
多くの“我慢”は、

片方の意見を“悪い事としてないがしろ”にしがちだ。

結局、どの“我慢”も
“我慢する”にせよ、“我慢を断念する”にせよ
最後、「自分にダメ出し」をして終わるとしたら

だれが、次に、“我慢”しようと思うだろうか…。

そこを、意志の力が足りない、心が弱いと
言ってしまうのは簡単だけれども、

生き物として、負ける戦い
「やったら負け…我慢すると最後に
    必ず(自分に)非難される」
というものには、モチベーションが湧くはずもない。

“我慢する”ことを否定しているのではなく、
“我慢する”と“我慢しない”との両方を
自問自答しておく、始める前に、
「決着」…納得をつけておくのだ。
どうだろう。

そうはいっても、もうすでに
“我慢する”について、納得をしないまま
“我慢”を始めていることも、
人生数十年生きていれば、少なくとも1つや2つは
あるはず。

・・・その中で、もし今、
   何だかしんどいなって思うものがあれば、
   ここからでもかまわないので

「自分のそこんとこの本音」聞いてみるのは
良いと思いますよ。

・・・ここが、NLPやコーチングで、
   問題解決、目標達成のプロセスを作る
   前に、やること。

心が動き始める、身体が動き始めるための
“自分自身”との合意、約束を
取り付けるところから。

仮に
 「意志が弱いんだ」
という感じがするならば
それも、織りこんで、
どんな合意、約束を
取り付けるか。やり方を準備するか。

人生の全てを“苦行”にする必要は無い
そう思うんだよね。

自分の中で自分が納得していれば、
傍から見れば“苦行”に思えることも、
本人さえ、“充実感を覚えること”で
あれば良いのだから。

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2016.3.1一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/

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