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◇誤りを正すのに、謝る必要はあるか

◇誤りを正すのに、謝る必要はあるか

自分にとって 
新しい事をする、難しいコトをする
行動様式は、“試行錯誤”
試して、修正して
上手く行くようにする

誤りを正すというプロセスに
“謝る”というステップは必ずしも
必要ない。

ところがとかく、社会では
“謝罪”を求められる。
子供のとき、あとで親の勘違いだった
と言うことがわかっても

「言い訳をするな」と言われて
 まず“謝る”ことを教えられる。

ここで、考えたいのは、
何のために“謝る”かということ。

あるいは、逆の立場に居たときには
何のために“謝ってもらう”のか
ということ。

誤りを正すときに必要なのは、
「上手く行かなかった事実と
 そのプロセスを受け止めること」
ですから、その姿勢で考えれば

“謝罪”をして
「誤りがあったことを受け止める」
目的があれば、誤りを正すのに
役に立ちます

(迷惑を被った側の)感情を解決する
 ことを目的にすると
 結果、“誤り”の改善は遠のいてしまう。

 “謝る”ことを、そして、
 それを求めることを
 否定するのではありません。

ただ、ときに
“謝る”ことでお目こぼしを
狙われてしまうと
結果、“誤り”が正されることも
さらに、(迷惑を被った側の)
気持ちの解決さえも遠のいてしまう。

・・・不用意な
  「お気持ちはよくわかります、
   大変申し訳ございません。」
  要注意です。

言葉遣いは大人で丁寧ですが、
子供のときの
 「ごめんなさい、ごめんなさい、
  もうしません、ごめんなさい」
と大差なかったしますから。

これを書いている
自分自身にとっても自戒を込めて
改善したい“誤り”があるとき、
その誤りで迷惑を掛けた相手が居るとき
“謝る”というのは、その姿勢を示す
あくまで行動の1つであって、
全てではないということ。

その時に、その“誤り”にどれだけ
向き合うか、向き合えるのか
・・・自分の器の大きさかもしれませんが
ここのある意味の厳しさに
対面することなのではないかなと
思うわけです。

言葉も態度も相手に伝える方法の1つ
ただ、伝える中身は、どうしたって
“自分自身”なのだから、
“自分自身”が今ここの全てを避けては
伝わるものも伝わらない。

まずは、深呼吸して、自分自身を
見つめる。自分自身が自分であることを
確認する。

自分が“誤り”を正すのに
自分の“誤り”を受け入れるプロセスとして
“謝る”事が僕は大切だと思うので
誤りを正すのに、誤る必要があるとおもうのですが

いかがでしょうか?

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2016.10.11 一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/

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