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「“価値観の多様性”という言葉の力と“不自由さ”」について考えてみた

「“価値観の多様性”という言葉の力と“不自由さ”」について考えてみた

「多様な価値観を認め合うことが大切だ」

 21世紀になってかなり定着してきた
 価値観だと思います。

 僕自身も大切だと思います…が、

 “多様な価値観を認めろ”

 “多様な価値観を受け入れない方々”に

 強いるのはちょっと違っている気がする。
 つまり、

 “多様な価値観” > “多様ではない(均一な)価値観”

 という価値観を押しつけているのだ…
 奇妙なことに。

多様な価値観を認めるには、
 自分の価値観と相反する価値観が
 そもそも存在するということを
 認める必要があって、

 世界にはそういう方々と

 「ご一緒することがある」

 ということを前提で

 “多様性を認める”

 を実践したいものだと思うのだ。
 (気持ち的には、すべきであるなんだけれども
  これもまた価値観の押しつけになる(苦笑))

究極的に言えば、

 100%全く同じ価値観を

 100%全く同じ程度に

 100%全く同じ状況で

大切にしている人はいないわけで、

思い返してみれば
状況や立場、関係性によって
今気づいている価値観とは
違う価値観を“是”としていたりするのだ。

その意味では、

“多様な価値観”

は必ずしも
トランプのジョーカーのように
無敵なものでは無い。

むしろ、100%対立する価値観をも
迎え入れられるほど
寛容である必要があったりするのだ。

多様な価値観の重要性をうたう人の中には

 「多様な価値観を認め合うことが大切だ」

という“均一の価値観”を押しつけている
人はいないだろうか?

どんな人が、どんな価値観を持っていたとしても
その相手という“存在”を認めること。
それが“多様な価値観”を認めることの
本質なんじゃないだろうか。

…繰り返しになりますが
 価値観というのは、
 状況や環境、立場で、
 変化しやすいモノですから。

(初出 アメブロ“ひじま・まさき”のブログ 2016.12.9 一部改編)
http://ameblo.jp/awakeners/

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